おくのほそ道.docx
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おくのほそ道.docx
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おくのほそ道
01 序文(じょぶん)
月日(つきひ)は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行(ゆ)きかふ年もまた旅人(たびびと)なり。
舟の上に生涯(しょうがい)をうかべ、馬の口とらえて老(おい)をむかふるものは、日々(ひび)旅(たび)にして旅(たび)を栖(すみか)とす。
古人(こじん)も多く旅(たび)に死(し)せるあり。
よもいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそはれて、漂泊(ひょうはく)の思ひやまず、海浜(かいひん)にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上(こうしょう)の破屋(はおく)にくもの古巣(ふるす)をはらひて、やや年も暮(くれ)、春立てる霞(かすみ)の空に白河(しらかわ)の関こえんと、そぞろ神(がみ)の物につきて心をくるはせ、道祖神(どうそじん)のまねきにあひて、取(と)るもの手につかず。
ももひきの破(やぶ)れをつづり、笠(かさ)の緒(お)付(つ)けかえて、三里(さんり)に灸(きゅう)すゆるより、松島の月まず心にかかりて、住(す)める方(かた)は人に譲(ゆず)り、杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移(うつ)るに、
草の戸も 住替(すみかわる)る代(よ)ぞ ひなの家
面八句(おもてはちく)を庵(いおり)の柱(はしら)にかけ置(お)く。
02 旅立ち(たびだち)
弥生(やよい)も末(すえ)の七日、あけぼのの空朧々(ろうろう)として、月はありあけにて光おさまれるものから、富士(ふじ)の嶺(みね)かすかに見えて、上野(うえの)・谷中(やなか)の花の梢(こずえ)、またいつかはと心ぼそし。
むつましきかぎりは宵(よい)よりつどひて、舟に乗(の)りて送る。
千じゆといふ所にて舟をあがれば、前途(せんど)三千里(さんぜんり)の思い胸(むね)にふさがりて、幻(まぼろし)のちまたに離別(りべつ)の泪(なみだ)をそそぐ。
行(ゆ)く春や 鳥啼(なき)魚(うお)の 目は泪(なみだ)
これを矢立(やたて)の初(はじめ)として、行(ゆ)く道なを進まず。
人々は途中(みちなか)に立(た)ちならびて、後(うし)ろかげの見ゆるまではと見送(みおく)るなるべし。
03 草加(そうか)
ことし元禄(げんろく)二(ふた)とせにや、奥羽(おうう)長途(ちょうど)の行脚(あんぎゃ)ただかりそめに思ひたちて、呉天(ごてん)に白髪(はくはつ)の恨(うら)みを重(かさ)ぬといへども、耳にふれていまだ目に見ぬ境(さかい)、もし生(いき)て帰らばと、定(さだめ)なき頼(たの)みの末(すえ)をかけ、その日ようよう早加(そうか)といふ宿(しゅく)にたどり着(つ)きにけり。
痩骨(そうこつ)の肩(かた)にかかれるもの、まずくるしむ。
ただ身(み)すがらにと出(い)で立(た)ちはべるを、帋子(かみこ)一衣(いちえ)は夜の防(ふせ)ぎ、ゆかた・雨具(あまぐ)・墨筆(すみふで)のたぐひ、あるはさりがたき餞(はなむけ)などしたるは、さすがに打捨(うちすて)がたくて、路頭(ろとう)の煩(わずらい)となれるこそわりなけれ。
04 室の八島(むろのやしま)
室(むろ)の八嶋(やしま)に詣(けい)す。
同行(どうぎょう)曽良(そら)がいわく、「この神(かみ)は木(こ)の花さくや姫(ひめ)の神(かみ)ともうして富士(ふじ)一躰(いったい)なり。
無戸室(うつむろ)に入(い)りて焼(や)きたまふちかひのみ中に、火火出見(ほほでみ)のみこと生れたまひしより室(むろ)の八嶋(やしま)ともうす。
また煙(けむり)を読習(よみならわ)しはべるもこの謂(いわれ)なり」。
はた、このしろといふ魚を禁(きん)ず。
縁記(えんぎ)のむね世(よ)に伝(つた)ふこともはべりし。
05 仏五左衛門(ほとけござえもん)
卅日(みそか)、日光山(にっこうざん)の梺(ふもと)に泊(とま)る。
あるじのいいけるやう、「わが名を仏五左衛門(ほとけござえもん)といふ。
よろず正直(しょうじき)をむねとするゆえに、人かくはもうしはべるまま、一夜(いちや)の草の枕(まくら)もうとけて休みたまへ」といふ。
いかなる仏(ほとけ)の濁世塵土(じょくせじんど)に示現(じげん)して、かかる桑門(そうもん)の乞食順礼(こつじきじゅんれい)ごときの人をたすけたまふにやと、あるじのなすことに心をとどめてみるに、ただ無智無分別(むちむふんべつ)にして、正直偏固(しょうじきへんこ)の者(もの)なり。
剛毅木訥(ごうきぼくとつ)の仁(じん)に近きたぐひ、気禀(きひん)の清質(せいしつ)もっとも尊(とうと)ぶべし。
06 日光(にっこう)
卯月(うづき)朔日(ついたち)、御山(おやま)に詣拝(けいはい)す。
往昔(そのむかし)この御山(おやま)を二荒山(ふたらさん)と書きしを、空海大師(くうかいだいし)開基(かいき)の時、日光と改(あらた)めたまふ。
千歳未来(せんざいみらい)をさとりたまふにや。
今この御光(みひかり)一天(いってん)にかかやきて、恩沢八荒(おんたくはっこう)にあふれ、四民安堵(しみんあんど)の栖(すみか)穏(おだやか)なり。
猶(なお)憚(はばかり)多くて筆(ふで)をさし置(おき)ぬ。
あらたうと 青葉若葉(あおばわかば)の 日の光
07 黒髪山(くろかみやま)
黒髪山(くろかみやま)は霞(かすみ)かかりて、雪いまだ白し。
剃捨(そりすて)て 黒髪山(くろかみやま)に 衣更(ころもがえ) 曽良
曽良(そら)は河合氏(かわいうじ)にして、惣五郎(そうごろう)といへり。
芭蕉(ばしょう)の下葉(したば)に軒(のき)をならべて、よが薪水(しんすい)の労(ろう)をたすく。
このたび松島(まつしま)・象潟(きさがた)の眺(ながめ)ともにせんことを悦(よろこ)び、かつは羈旅(きりょ)の難(なん)をいたはらんと、旅(たび)立つ暁(あかつき)髪(かみ)を剃(そ)りて墨染(すみぞめ)にさまをかえ、惣五(そうご)を改(あらため)て宗悟(そうご)とす。
よって黒髪山(くろかみやま)の句(く)あり。
「衣更(ころもがえ)」の二字(にじ)力(ちから)ありてきこゆ。
廿余丁(にじゅうよちょう)山を登つて瀧(たき)あり。
岩洞(がんとう)の頂(いただき)より飛流(ひりゅう)して百尺(はくせき)、千岩(せんがん)の碧潭(へきたん)に落(お)ちたり。
岩窟(がんくつ)に身(み)をひそめ入(い)りて瀧(たき)の裏(うら)より見れば、裏見(うらみ)の瀧(たき)ともうし伝(つた)えはべるなり。
しばらくは 瀧(たき)に籠(こも)るや 夏(げ)の初(はじめ)
08 那須(なす)
那須(なす)の黒ばねといふ所(ところ)に知人(しるひと)あれば、これより野越(のごえ)にかかりて、直道(すぐみち)をゆかんとす。
遥(はるか)に一村(いっそん)を見かけて行(ゆ)くに、雨降(ふ)り日暮(く)るる。
農夫(のうふ)の家に一夜(いちや)をかりて、明(あく)ればまた野中(のなか)を行(ゆ)く。
そこに野飼(のがい)の馬あり。
草刈(か)る男の子(おのこ)になげきよれば、野夫(やふ)といへどもさすがに情(なさけ)しらぬには非(あら)ず。
「いかがすべきや。
されどもこの野は縦横(じゅうおう)にわかれて、うゐうゐ(ういうい)しき旅人(たびびと)の道ふみたがえむ、あやしうはべれば、この馬のとどまる所にて馬を返したまへ」と、かしはべりぬ。
ちいさき者ふたり、馬の跡(あと)したひて走る。
独(ひとり)は小姫(こひめ)にて、名をかさねといふ。
聞きなれぬ名のやさしかりければ、
かさねとは 八重撫子(やえなでしこ)の 名(な)成(な)るべし 曽良
やがて人里(ひとざと)にいたれば、あたひを鞍(くら)つぼに結付(むすびつ)けて、馬を返(かえ)しぬ。
09 黒羽(くろばね)
黒羽(くろばね)の館代(かんだい)浄坊寺(じょうほうじ)何(なに)がしの方(かた)におとずる。
思ひがけぬあるじの悦(よろこ)び、日夜(にちや)語(かた)りつづけて、その弟(おとうと)桃翠(とうすい)などいふが、朝夕(ちょうせき)勤(つと)めとぶらひ、自(みずから)の家にも伴(ともな)ひて、親属(しんぞく)の方(かた)にもまねかれ、日をふるままに、日とひ郊外(こうがい)に逍遙(しょうよう)して、犬追物(いぬおうもの)の跡(あと)を一見(いっけん)し、那須(なす)の篠原(しのはら)をわけて玉藻の前(たまものまえ)の古墳(こふん)をとふ。
それより八幡宮(はちまんぐう)に詣(もう)ず。
与一(よいち)扇(おうぎ)の的(まと)を射(い)し時、「べっしては我国氏神(わがくにのうじがみ)正八(しょうはち)まん」とちかひしもこの神社(じんじゃ)にてはべると聞けば、感應(かんのう)殊(ことに)しきりに覚(おぼ)えらる。
暮(くるれば桃翠(とうすい)宅(たく)に帰る。
修験光明寺(しゅげんこうみょうじ)といふあり。
そこにまねかれて行者堂(ぎょうじゃどう)を拝(はい)す。
夏山(なつやま)に 足駄(あしだ)をおがむ かどでかな
10 雲巌寺(うんがんじ)
当国(とうごく)雲巌寺(うんがんじ)のおくに佛頂和尚(ぶっちょうおしょう)山居跡(さんきょのあと)あり。
竪横(たてよこ)の 五尺(ごしゃく)にたらぬ 草(くさ)の庵(いお)
むすぶもくやし 雨なかりせば
と、松の炭(すみ)して岩に書き付(つ)けはべりと、いつぞや聞こえたまふ。
その跡(あと)みむと雲岸寺(うんがんじ)に杖(つえ)をひけば、人々すすんでともにいざなひ、若(わか)き人おほく、道のほど打(う)ちさはぎて、おぼえずかの梺(ふもと)にいたる。
山はおくあるけしきにて、谷道(たにみち)はるかに、松(まつ)杉(すぎ)黒く、苔(こけ)しただりて、卯月(うづき)の天今なお寒(さむ)し。
十景(じっけい)つくる所(ところ)、橋(はし)をわたつて山門(さんもん)に入(い)る。
さて、かの跡(あと)はいづくのほどにやと、後(うし)ろの山によぢのぼれば、石上(せきじょう)の小庵(しょうあん)岩窟(がんくつ)にむすびかけたり。
妙禅師(みょうぜんじ)の死関(しかん)、法雲法師(ほううんほうし)の石室(せきしつ)を見るがごとし。
木啄(きつつき)も 庵(いお)はやぶらず 夏木立(なつこだち)
と、とりあへぬ一句(く)を柱(はしら)に残(のこ)しはべりし。
11 殺生石・遊行柳(せっしょうせき・ゆぎょうやなぎ)
これより殺生石(せっしょうせき)に行(ゆ)く。
館代(かんだい)より馬にて送(おく)らる。
この口付(つ)きの男の子(おのこ)、短冊(たんじゃく)得(え)させよとこう。
やさしきことを望(のぞ)みはべるものかなと、
野(の)を横(よこ)に 馬(うま)ひきむけよ ほととぎす
殺生石(せっしょうせき)は温泉(いでゆ)の
出(い)づる山陰(やまかげ)にあり。
石の毒気(どくけ)いまだほろびず。
蜂(はち)蝶(ちょう)のたぐひ真砂(まさご)の色の見えぬほどかさなり死す。
また、清水(しみず)ながるるの柳(やなぎ)は蘆野(あしの)の里にありて田の畔(くろ)に残(のこ)る。
この所(ところ)の郡守(ぐんしゅ)戸部(こほう)某(なにがし)のこの柳(やなぎ)見せばやなど、おりおりにのたまひ聞こえたまふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日この柳(やなぎ)のかげにこそ立ち寄(よ)りはべりつれ。
田(た)一枚(いちまい) 植(う)えて立ち去(さ)る 柳(やなぎ)かな
12 白河(しらかわ)
心もとなき日かず重(かさ)なるままに、白河(しらかわ)の関(せき)にかかりて、旅心(たびごころ)定(さだ)まりぬ。
いかで都(みやこ)へと便(たより)求(もと)めしもことわりなり。
中にもこの関(せき)は三関(さんかん)の一(いつ)にして、風騒(ふうそう)の人、心をとどむ。
秋風を耳に残(のこ)し、紅葉(もみじ)を俤(おもかげ)にして、青葉(あおば)の梢(こずえ)なおあはれなり。
卯(う)の花の白妙(しろたえ)に、茨(いばら)の花の咲(さ)きそひて、雪にもこゆる心地(ここち)ぞする。
古人(こじん)冠(かんむり)を正(ただ)し、衣装(いしょう)を改(あらた)めしことなど、清輔(きよすけ)の筆(ふで)にもとどめ置(お)かれしとぞ。
卯(う)の花を かざしに関(せき)の 晴着(はれぎ)かな 曽良(そら)
13 須賀川(すかがわ)
とかくして越(こ)え行(ゆ)くままに、あぶくま川を渡(わた)る。
左に会津根(あいづね)高く、右に岩城(いわき)・相馬(そうま)・三春(みはる)の庄(しょう)、常陸(ひたち)・下野(しもつけ)の地をさかひて、山つらなる。
かげ沼といふ所(ところ)を行(ゆ)くに、今日は空(そら)曇(くもり)て物影(ものかげ)うつらず。
須賀川(すかがわ)の駅に等窮(とうきゅう)といふものを尋(たず)ねて、四、五日とどめらる。
まず白河(しらかわ)の関(せき)いかにこえつるやと問(と)う。
「長途(ちょうど)のくるしみ、身心(しんじん)つかれ、かつは風景(ふうけい)に魂(たましい)うばはれ、懐旧(かいきゅう)に腸(はらわた)を断(た)ちて、はかばかしう思ひめぐらさず。
風流(ふうりゅう)の 初(はじめ)やおくの 田植(たうえ)うた
無下(むげ)にこえんもさすがに」と語(かた)れば、脇(わき)・第三(だいさん)とつづけて、三巻(みまき)となしぬ。
この宿(しゅく)のかたわらに、大きなる栗(くり)の木陰(こかげ)をたのみて、世(よ)をいとふ僧(そう)あり。
橡(とち)ひろふ太山(みやま)もかくやとしづかに覚(おぼ)えられてものに書き付(つ)はべる。
其詞(そのことば)、
栗(くり)といふ文字(もんじ)は西の木と書きて
西方浄土(さいほうじょうど)に便(たより)ありと、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)の一生(いっしょう)
杖(つえ)にも柱(はしら)にもこの木を用(もち)いたまふとかや。
世(よ)の人の 見付(つ)けぬ花や 軒(のき)の栗(くり)
14 安積山(あさかやま)
等窮(とうきゅう)が宅(たく)を出(い)でて五里(ごり)ばかり、桧皮(ひわだ)の宿(しゅく)を離(はな)れて安積山(あさかやま)あり。
路(みち)より近(ちか)し。
このあたり沼(ぬま)多し。
かつみ刈(か)るころもやや近(ちこ)うなれば、いづれの草を花かつみとはいふぞと、人々に尋(たず)ねはべれども、さらに知(し)る人なし。
沼(ぬま)を尋(たず)ね、人に問(と)ひ、かつみかつみと尋(たず)ねありきて、日は山の端(は)にかかりぬ。
二本松(にほんまつ)より右にきれて、黒塚(くろづか)の岩屋(いわや)一見(いっけん)し、福島(ふくしま)に宿(やど)る。
15 信夫の里(しのぶのさと)
あくれば、しのぶもぢ摺(ずり)の石を尋(たず)ねて、忍(しの)ぶのさとに行(ゆ)く。
遥(はるか)山陰(やまかげ)の小里(こざと)に石なかば土に埋(うず)もれてあり。
里の童(わら)べの来たりて教(おし)えける。
昔(むかし)はこの山の上にはべりしを、往来(ゆきき)の人の麦草(むぎくさ)をあらして、この石を試(こころ)みはべるをにくみて、この谷(たに)につき落(お)とせば、石の面(おもて)下ざまにふしたりといふ。
さもあるべきことにや。
早苗(さなえ)とる 手もとや昔(むかし) しのぶ摺(ずり)
16 佐藤庄司が旧跡(さとうしょうじがきゅうせき)
月の輪(わ)のわたしを超(こ)えて、瀬(せ)の上といふ宿(しゅく)に出(い)づ。
佐藤庄司(さとうしょうじ)が旧跡(きゅうせき)は、左の山際(やまぎわ)一里半(いちりはん)ばかりにあり。
飯塚(いいづか)の里鯖野(さばの)と聞きて尋(たず)ね尋(たず)ね行(ゆ)くに、丸山(まるやま)といふに尋(たず)ねあたる。
これ、庄司(しょうじ)が旧跡(きゅうせき)なり。
梺(ふもと)に大手(おおて)の跡(あと)など、人の教(おし)ゆるにまかせて泪(なみだ)を落(お)とし、またかたはらの古寺(ふるでら)に一家(いっけ)の石碑(せきひ)を残(のこ)す。
中にも、二人の嫁(よめ)がしるし、まず哀(あわ)れなり。
女なれどもかひがひしき名の世に聞こえつるものかなと、袂(たもと)をぬらしぬ。
堕涙(だるい)の石碑(せきひ)も遠(とお)きにあらず。
寺に入(い)りて茶(ちゃ)を乞(こ)へば、ここに義経(よしつね)の太刀(たち)、弁慶(べんけい)が笈(おい)をとどめて什物(じゅうもつ)とす。
笈(おい)も太刀(たち)も 五月(さつき)にかざれ 帋幟(かみのぼり)
五月(さつき)朔日(ついたち)のことなり。
17 飯塚の里(いいづかのさと)
その夜飯塚(いいづか)にとまる。
温泉(いでゆ)あれば湯(ゆ)に入(い)りて宿(やど)をかるに、土坐(どざ)に筵(むしろ)を敷(しき)て、あやしき貧家(ひんか)なり。
灯(ともしび)もなければ、ゐろりの火(ほ)かげに寝所(ねどころ)をまうけて臥(ふ)す。
夜(よる)に入(い)りて雷(かみ)鳴(なり)、雨しきりに降(ふり)て、臥(ふせ)る上よりもり、蚤(のみ)・蚊(か)にせせられて眠(ねむ)らず。
持病(じびょう)さへおこりて、消入(きえいる)ばかりになん。
短夜(みじかよ)の空(そら)もやうやう明(あく)れば、また旅立(たびだち)ぬ。
なお、夜(よる)の余波(なごり)心すすまず、馬(うま)かりて桑折(こおり)の駅(えき)に出(い)づる。
遥(はるか)なる行末(ゆくすえ)をかかえて、かかる病(やまい)覚束(おぼつか)なしといへど、羇旅(きりょ)辺土(へんど)の行脚(あんぎゃ)、捨身(しゃしん)無常(むじょう)の観念(かんねん)、道路(どうろ)にしなん、これ天の命(めい)なりと、気力(きりょく)いささかとり直(なお)し、路(みち)縦横(じゅうおう)に踏(ふん)で伊達(だて)の大木戸(おおきど)をこす。
18 笠嶋(かさじま)
鐙摺(あぶみずり)・白石(しろいし)の城(じょう)を過(すぎ)、笠嶋(かさじま)の郡(こおり)に入(い)れば、藤中将実方(とうのちゅうじょうさねかた)の塚(つか)はいづくのほどならんと人にとへば、これより遥(はるか)右(みぎ)に見ゆる山際(やまぎわ)の里をみのわ・笠嶋(かさじま)といい、道祖神(どうそじん)の社(やしろ)・かたみの薄(すすき)今にありと教(おし)ゆ。
このごろの五月雨(さみだれ)に道いとあしく、身(み)つかれはべれば、よそながら眺(ながめ)やりて過(すぐ)るに、蓑輪(みのわ)・笠嶋(かさじま)も五月雨(さみだれ)の折(おり)にふれたりと、
笠嶋(かさじま)は いづこさ月の ぬかり道
19 武隈の松(たけくまのまつ)
岩沼(いわぬま)の宿(しゅく)
武隈の松(まつ)にこそ、目覚(さむ)る心地(ここち)はすれ。
根(ね)は土際(つちぎわ)より二木(ふたき)にわかれて、昔(むかし)の姿(すがた)うしなはずとしらる。
まず能因法師(のういんほうし)思ひ出(い)づ。
その昔(かみ)むつのかみにて下(くだ)りし人、この木を伐(きり)て、名取川(なとりがわ)の橋杭(はしぐい)にせられたることなどあればにや、「松(まつ)はこのたび跡(あと)もなし」とは詠(よみ)たり。
代々(よよ)、あるは伐(きり)、あるひは植継(うえつぎ)などせしと聞くに、今将(いまはた)、千歳(ちとせ)のかたちととのほひて、めでたき松(まつ)のけしきになんはべりし。
「武隈(たけくま)の松(まつ)みせ申(もう)せ遅桜(おそざくら)」
と挙白(きょはく)といふものゝ餞別(せんべつ)したりければ、
桜(さくら)より 松(まつ)は二木(ふたき)を 三月(みつき)越(ご)し
20 仙台(せんだい)
名取川(なとりがわ)を渡(わたっ)て仙台(せんだい)に入(い)る。
あやめふく日なり。
旅宿(りょしゅく)をもとめて四五日(しごにち)逗留(とうりゅう)す。
ここに画工加右衛門(がこうかえもん)といふものあり。
いささか心ある者(もの)と聞きて知(し)る人になる。
この者(もの)、年比(としごろ)さだかならぬ名どころを考(かんがえ)置(おき)はべればとて、一日(ひとひ)案内(あんない)す。
宮城野(みやぎの)の萩(はぎ)茂(しげ)りあひて、秋(あき)の景色(けしき)思ひやらるる。
玉田(たまだ)・よこ野(の)・つつじが岡はあせび咲(さく)ころなり。
日影(ひかげ)ももらぬ松(まつ)の林(はやし)に入(い)りて、ここを木(き)の下(した)といふとぞ。
昔(むかし)もかく露(つゆ)ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。
薬師堂(やくしどう)・天神(てんじん)の御社(みやしろ)など拝(おがみ)て、その日はくれぬ。
なお、松嶋(まつしま)・塩竃(しおがま)の所々(ところどころ)、画(え)に書(かき)て送(おく)る。
かつ、紺(こん)の染緒(そめお)つけたる草鞋(わらじ)二足(にそく)餞(はなむけ)す。
さればこそ風流(ふうりゅう)のしれもの、ここにいたりてその実(じつ)を顕(あらわ)す。
あやめ草(ぐさ) 足(あし)に結(むすば)ん 草鞋(わらじ)の緒(お)
かの画図(がと)にまかせてたどり行(ゆけ)ば、おくの細道(ほそみち)の山際(やまぎわ)に十符(とふ)の菅(すげ)あり。
今(いま)も年々(としどし)十符(とふ)の菅菰(すがごも)を調(ととのえて)て国守(こくしゅ)に献(けん)ずといえり。
21 多賀城(たがじょう)
壷碑(つぼのいしぶみ) 市川村(いちかわむら)多賀城(たがじょう)にあり。
つぼの石ぶみは高(たか)さ六尺(ろくしゃく)あまり、横(よこ)三尺(さんじゃく)斗(ばかり)か。
苔(こけ)を穿(うがち)て文字(もじ)かすかなり。
四維(しゆい)国界(こっかい)の数里(すうり)をしるす。
この城(しろ)、神亀(じんき)元年(がんねん)、按察使(あぜち)鎮守府(ちんじゅふ)将軍(しょうぐん)大野朝臣東人(おおのあそんあずまひと)の所置(おくところ)なり。
天平(てんぴょう)宝字(ほうじ)六年(ろくねん)参議(さんぎ)東海(とうかい)東山(とうせん)節度使(せつどし)同(おなじく)将軍(しょうぐん)恵美朝臣(えみのあそんあさかり)修造(しゅぞう)而(読まない文字)、十二月(じゅうにがつ)朔日(ついたち)とあり。
聖武皇帝(しょうむこうてい)の御時(おんとき)に当(あた)れり。
むかしよりよみ置(おけ)る哥枕(うたまくら)、おほく語(かたり)伝(つた)ふといへども、山崩(くず)れ川流(ながれ)て道あらたまり、石は埋(うずもれ)て土にかくれ、木は老(おい)て若木(わかぎ)にかはれば、時移(うつ)り代(よ)変(へん)じて、その跡(あと)たしかならぬことのみを、ここにいたりて疑(うたが)いなき千歳(せんざい)の記念(かたみ)、今眼前(がんぜん)に古人(こじん)の心を閲(けみ)す。
行脚(あんぎゃ)の一徳(いっとく)、存命(ぞんめい)の悦(よろこ)び、羈旅(きりょ)の労(ろう)をわすれて、泪(なみだ)も落(お)つるばかりなり。
22 末の松山・塩竃(すえのまつやま・しおがま)
それより野田(のだ)の玉川(たまがわ)・沖(おき)の石を尋(たず)ぬ。
末(すえ)の松山(まつやま)は寺を造(つく)りて末松山(まっしょうざん)といふ。
松(まつ)のあひあひ皆(みな)墓原(はかはら)にて、はねをかはし枝(えだ)をつらぬる契(ちぎ)りの末(すえ)も、終(ついに)はかくのごときと、悲(かな)しさも増(まさ)りて、塩(しお)がまの浦(うら)に入相(いりあい)のかねを聞く。
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