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日本近代文学整理大全
写
実
主
義
代表作家
主な紹介
代表作品
主な内容
坪内逍遥
1859-1935、主に明治時代に活躍した日本の小説家、評論家、翻訳家、劇作家。
代表作に『小説神髄』『当世書生気質』およびシェイクスピア全集の翻訳があり、近代日本文学の成立や演劇改良運動に大きな影響を与えた。
本名は坪内雄蔵(つぼうちゆうぞう)。
別号に春のやおぼろ(春廼屋朧)、春のや主人など。
俳句も詠んだ。
小説神髄
《小说神髓》于1885年出版,其中否定江户时代劝善惩恶的物语故事,主张小说应描写人情世态,并以写人情为主,着重心理的观察与持客观的态度,是日本现代文学中一部重要理论著作。
上巻において、小説で大切なことはまず人情を描くことで、次に世の中の様子や風俗の描写であると論じ、下巻において具体的な方法を示す。
明治に入ってからの日本文学は、江戸の戯作の流れを汲む戯作文学か、西洋の思想・風俗を伝え啓蒙するための政治小説が中心だったが、『小説神髄』は道徳や功利主義的な面を文学から排して客観描写につとめるべきだと述べ、心理的写実主義を主張することで日本の近代文学の誕生に大きく寄与した。
二葉亭四迷
1864-1909、日本の小説家、翻訳家。
本名、長谷川辰之助(はせがわたつのすけ)。
1887年~1891年の間に出された写実主義小説『浮雲』は言文一致体で書かれ、日本の近代小説の開祖となった
浮雲
1887年、言文一致の文体(ダ体)で書かれた日本の近代小説の始まりを告げた作品。
主人公の文三とその従姉妹のお勢、友人の本田の3人の姿を中心に描かれている。
擬
古
典
主
義
1897-1902、前編、中編、後編、続金色夜叉、続続金色夜叉、新続金色夜叉の6編からなっている。
執筆中に作者が死亡したため未完成である。
高等中学校の学生の間貫一(はざまかんいち)の許婚であるお宮(鴫沢宮、しぎさわみや)は、結婚を間近にして、富豪の富山唯継のところへ嫁ぐ。
それに激怒した貫一は、熱海で宮を問い詰めるが、宮は本心を明かさない。
貫一は宮を蹴り飛ばし、復讐のために、高利貸しになる。
一方、お宮も幸せに暮らせずにいた。
尾崎紅葉
日本の小説家。
本名、徳太郎。
「縁山」「半可通人」「十千万堂」などの号も持つ1885年(明治18年)、山田美妙らと硯友社を設立し。
金色夜叉
幸田露伴
1867-1947、、日本の小説家。
本名は成行(しげゆき)。
別号に蝸牛庵(かぎゅうあん[1])、笹のつゆ、雷音洞主、脱天子など多数。
江戸(現東京都)下谷生れ。
帝国学士院会員。
帝国芸術院会員。
五重塔、
風流仏
『五重塔』(ごじゅうのとう)は幸田露伴の明治25年(1892年)の小説。
最初は新聞『国会』に連載された。
ロマン主義
森鴎外
1862-1922、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。
位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。
本名は森林太郎
舞姫
森鴎外が1884年から4年間ドイツへ医学を学ぶために留学した時の体験を下敷きにして執筆された。
主人公の手記の形をとり、その体験を綴る。
高雅な文体と浪漫的な内容で初期の代表作。
本作と他二作は独逸三部作(浪漫三部作)[1]。
この作品を巡り石橋忍月との間で論争(舞姫論争)が起こった。
なお、主人公には作者森鴎外といくつかの類似点がある
北村透谷
1868-1894、日本の評論家・詩人。
明治期に近代的な文芸評論をおこない、島崎藤村らに大きな影響を与えた透谷の作品群は、上記の近代的な恋愛観からも窺えるように、ジョージ・ゴードン・バイロンやラルフ・ワルド・エマーソンの影響下にロマン主義的な「人間性の自由」という地平を開き、以降の文学に対し、人間の心理、内面性を開拓する方向を示唆している
楚囚の詩、
蓬莱曲、
厭世詩家と女性
1889年『楚囚の詩』を自費出版したが、出版直後に後悔し自ら回収した。
1891年『蓬莱曲』を自費出版。
1892年に評論「厭世詩家と女性」を『女学雑誌』に発表し、近代的な恋愛観(一種の恋愛至上主義)を表明した。
樋口一葉
1872-1896、日本の小説家。
近代以降では最初の職業女流作家である。
本名は夏子、戸籍名は奈津
たけくらべ
吉原の廓に住む14歳の少女美富利と運命の少年藤本信如との恋を中心に、東京の子供たちの生活を吉原を背景に描き出した作品。
子供から大人に移り変わる少年少女の心理を小説することは当時前例のない試みであり、一葉の名を不朽にした
泉鏡花
1873-1939、日本の小説家。
明治後期から昭和初期にかけて活躍した。
小説の他に戯曲や俳句も手がけた。
本名、鏡太郎(きょうたろう)。
。
『夜行巡査』『外科室』で評価を得、『高野聖』で人気作家になる。
江戸文芸の影響を深くうけた怪奇趣味と特有のロマンティシズムで知られる。
また近代における幻想文学の先駆者としても評価される。
他の主要作品に『照葉狂言』、『婦系図』、『歌行燈』などがある
高野聖
高野山の旅僧が旅の途中で道連れとなった若者に、自分がかつて体験した不思議な怪奇譚を聞かせる物語。
難儀な蛇と山蛭の山路を抜け、妖艶な美女の住む孤家にたどり着いた僧侶の体験した超現実的な幽玄世界が、鏡花独特の語彙豊かで視覚的な、体言止めを駆使したリズム感のある文体で綴られている。
自然主義
島崎藤村
1872-1943、日本の詩人、小説家。
本名は島崎春樹。
『文学界』に参加し、ロマン主義詩人として『若菜集』などを出版。
さらに小説に転じ、『破戒』『春』などで代表的な自然主義作家となった。
作品は他に、日本自然主義文学の到達点とされる『家』、姪との近親姦を告白した『新生』、父をモデルとした歴史小説の大作『夜明け前』などがあ
破戒
被差別部落出身の小学校教師がその出生に苦しみ、ついに告白するまでを描く。
藤村が小説に転向した最初の作品で、日本自然主義文学の先陣を切った。
田山花袋
1872-1930、日本の小説家。
本名、録弥(ろくや)。
群馬県(当時は栃木県)生れ。
『蒲団』『田舎教師』などの自然主義派の作品を発表し、その代表的な作家の一人。
紀行文にも優れたものがある
蒲団
中編小説。
日本の自然主義文学を代表する作品の一つで、また私小説の出発点に位置する作品とされた。
末尾において主人公が女弟子の使っていた夜着の匂いをかぐ場面など、性を露悪的なまでに描き出した内容が当時の文壇とジャーナリズムに大きな反響を巻き起こした。
国木田独歩
1871-1908、日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。
千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。
幼名を亀吉、のちに哲夫と改名した。
筆名は独歩の他、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがある。
田山花袋、柳田國男らと知り合い「独歩吟」を発表。
詩、小説を書いたが、次第に小説に専心。
「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」などの浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされる。
また現在も続いている雑誌『婦人画報』の創刊者であり、編集者としての手腕も評価されている
耽美派
永井荷風
1879-1959、日本の小説家。
本名は永井壮吉。
号に金阜山人・断腸亭主人。
1898年、広津柳浪に入門、1899年清の留学生羅蘇山人の紹介で巌谷小波の木曜会に入る。
1901年、暁星中学の夜学でフランス語を習い始め、エミール・ゾラの『大地』ほかの英訳を読んで傾倒した。
1898年から習作を雑誌に発表し、1902年から翌年にかけ、『野心』、『地獄の花』、『夢の女』、『女優ナナ』を刊行する。
特に『地獄の花』は森鴎外に絶賛され、彼の出世作となる。
谷崎潤一郎
1886-1965、日本の小説家。
明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。
現在においても近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。
。
『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』など、情痴や時代風俗などのテーマを扱う通俗性と、文体や形式における芸術性を高いレベルで融和させた純文学の秀作によって世評高く、「文豪」「大谷崎」と称された
『春琴抄』は、谷崎潤一郎による中編小説。
盲目の三味線奏者春琴に丁稚の佐助が献身的に仕えていく物語の中で、マゾヒズムを超越した本質的な耽美主義を描く。
句読点や改行を大胆に省略した独自の文体が特徴
白樺派
武者小路実篤
1885-1976、日本の小説家・詩人・劇作家・画家。
実篤は白樺派の思想代名詞的存在で、理想郷の建設に代表される理想主義的・空想社会主義的行動には現実離れしているという批判もつきまとった。
また、気紛れで始めたことを簡単に投げ出すという無責任とも取れる言動を批判されることもあった。
『友情』
『愛と死』
ただしその作品は必ずしも彼の思想的背景に依るものではなく、それゆえ現代に至るまで広く一般に読まれている。
これが一般には『友情』『愛と死』などの代表作を生んだ、近代日本を代表する作家の一人としての知名度の方が遥かに高い所以である。
志賀直哉
明治から昭和にかけて活躍した日本の小説家。
白樺派を代表する小説家のひとりで、その後の多くの日本人作家に影響を与えた
『暗夜行路』『和解』『小僧の神様』『城の崎にて』
作品には自然主義の影響も指摘される。
無駄のない文章は、小説文体の理想のひとつと見なされ評価が高い。
そのため作品は文章練達のために、模写の題材にされることもある。
有島武郎
1878-1923、日本の小説家。
『カインの末裔』『或る女』「かんかん虫」
新思潮派
芥川龍之介
1892-1927、日本の小説家。
本名同じ、号は澄江堂主人、俳号は我鬼。
作品は、多く短篇小説が知られている。
蜘蛛糸 、秋、羅生門、鼻、河童
地獄変
戯作三昧
菊池寛
1888-1948、小説家、劇作家、ジャーナリスト。
文藝春秋社を創設した実業家でもある。
本名は菊池寛。
恩讐の彼方に
短編小説
久米正雄
1891-1952、日本の小説家、劇作家、俳人。
俳号は三汀。
“微苦笑”という語の発明者として有名。
自らは通俗小説の大家となりながら、芸術小説への憧れが強く、評論「私小説と心境小説」で、トルストイもドストエフスキーも所詮は高級な通俗小説で、私小説こそが真の純文学だと論じた
破船、人間
夏目漱石
1867-1916、日本の小説家、評論家、英文学者。
本名、金之助。
俳号は愚陀仏。
『吾輩は猫である』(1905年)
『坊っちゃん』(1906年)
『草枕』(1906年)
『三四郎』(1908年)
『それから』(1910年)
『門』(1911年)
『行人』(1914年)
『こゝろ』(1914年)
『明暗』(1916年)
二人共、〝自然主義文学の姿勢〟とははっきりした距離を保ちながら洋の東西を問わぬ広い知識を以て文学活動を進め、歪んで行く近代化に於ける価値観の主流に於いても自分達の認識をしっかりと見据え、後続の文学世代に相応の影響を与えた
森鴎外
1862-1922、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。
位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。
本名は森林太郎
『舞姫』(1890年)
『ヰタ・セクスアリス』(1909年)
『青年』(1910年)
『雁』(1911年)
『阿部一族』(1913年)
『山椒大夫』(1915年)
『高瀬舟』(1916年)
『渋江抽斎』(1916年、史伝)
新感覚派
川端康成
1899-1972、著名小说家。
一生创作小说100多篇,中短篇多于长篇。
作品富抒情性,追求人生升华的美,并深受佛教思想和虚无主义影响。
千羽鶴、山の音、
《精通葬礼的人》、《十六岁的日记》和《致父母的信》
《招魂节一景》、《伊豆的舞女》、《温泉旅馆》、《花的圆舞曲》和《雪国》
一类是描写他的孤儿生活,抒发他的孤独感情,描写他的失恋过程,抒发他痛苦感受的作品。
另一类是描写处于社会下层的人物,尤其是下层妇女(如舞女、艺妓、女艺人、女侍者等)的悲惨遭遇,表现她们对生活、爱情和艺术的追求的作品。
横光利一
1898-1947、日本の小説家・俳人・評論家。
『日輪』と『蝿』
片岡鉄兵
1894-1944、昭和前期の小説家。
「鉄平」と表記されることもある。
『綱の上の少女』『にがい話』『若き読者に問う』『椅子の脚の曲線』という推理小説も執筆している
プロレタリア作家として活動する。
1928年、『左傾について』『予の左傾と『前衛』入りについて』を執筆、『生ける人形』『今度こそ』『卑しき者』『愛情の問題』『綾里村快挙録
近代詩
ロマン主義詩
北村透谷
楚囚の詩
島崎藤村
若菜集
理想主義詩
高村光太郎
日本の詩人・彫刻家、
荻原朔太郎
1886-1942、日本の詩人。
大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称
『月に吠える』
内容・形式共に従来の詩の概念を破り、口語象徴詩・叙情詩の新領域を開拓し、詩壇に確固たる地位を確立
金子光晴
1895-1975、日本の有名な反戦詩人。
『落下傘』
俳句
正岡子規
1867-1902、日本の俳人、歌人、国語学研究家。
名は常規。
俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人であった。
死
高浜虚子
1874-1959、明治・昭和期の俳人・小説家。
本名は高浜清。
子規の没後、五七五調に囚われない新傾向俳句を唱えた碧梧桐に対して、虚子は1913年(大正2年)の俳壇復帰の理由として、俳句は伝統的な五七五調で詠まれるべきであると唱えた。
また、季語を重んじ平明で余韻があるべきだとし、客観写生を旨とすることを主張し、「守旧派」として碧梧桐と激しく対立した。
ホトトギスの理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。
水原秋桜子
1892-1981、日本の俳人、医師・医学博士。
短歌に学んだ明朗で叙情的な句風で「ホトトギス」に新風を吹き込んだが、「客観写生」の理念に飽き足らなくなり同誌を離反、俳壇に反ホトトギスを旗印とする新興俳句運動が起こるきっかけを作った。
「馬酔木」主宰。
別号に喜雨亭。
短歌
明星派
与謝野鉄幹
1873-1935、日本の歌人。
本名は与謝野寛。
歌集『東西南北』、『天地玄黄』短歌論『亡国の音』
与謝野晶子
1878-1942、日本の歌人、作家、思想家。
処女歌集『みだれ髪』『君死にたまふことなかれ』「新しい女」
石川啄木
1886-1912、日本の歌人、詩人。
「生活派歌人」
「悲しいかんぐ」「一握の砂」
北原白秋
1885-1942、日本の詩人、童謡作家、歌人。
本名は北原隆吉。
詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作を残している。
生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人である
「桐の花」
昭和の小説
プロレタリア文学
種まく人
平林初之輔、青の末吉など
文芸戦線
小林多喜二、宮本百合子など
小林多喜二
1903-1933、日本のプロレタリア文学の代表的な作家、小説家である。
『蟹工船』『不在地主』『党生活者』
宮本百合子
1899-1951、昭和期の小説家、評論家。
17歳の時に『貧しき人々の群』で文壇に登場、天才少女として注目を集め、その後もプロレタリア文学の作家、民主主義文学のリーダー、左翼運動家として活動した
「伸子」「杉垣」
「播州平野」
新興芸術派
井伏鱒二
1898-1993、日本の小説家。
本名は井伏滿壽二。
筆名は釣り好きだったことによる。
山椒魚、初の作品集『夜ふけと梅の花』
新心理主義
伊藤整
1905-1969、日本の小説家、詩人、文芸評論家、翻訳家。
位階は正五位。
勲等は勲三等。
本名は伊藤整(いとうひとし)。
日本芸術院会員。
上京後は詩作を離れて小説・評論に重心を移す。
戦前・戦中は詩壇・文壇でのみ知られた存在だったが、戦後は旺盛な著作活動に加え、ベストセラーや裁判の影響もあり、もっとも著名な評論家の一人となった。
昭和初期にジェイムズ・ジョイスらの影響を受けて「新心理主義」を提言。
『ユリシーズ』を翻訳する。
北海道時代には詩作を中心に行い処女詩集『雪明りの路』で注目される。
堀辰雄
1904-19953、日本の小説家。
それまで私小説的となっていた日本の小説の流れの中に、意識的にフィクションによる「作りもの」としてのロマン(西洋流の小説)という文学形式を確立しようとした。
フランス文学の心理主義を積極的に取り入れ、日本の古典や王朝女流文学にも新しい生命を見出し、それらを融合させることによって独自の文学世界を創造した
『聖家族』
同人誌『驢馬』
文芸復興、新人作家
石坂洋次郎
1900-1086、日本の小説家。
『海を見に行く』『青い山脈』
石川達三
1905-1985、日本の小説家
ブラジルの農場での体験を元にした『蒼氓』で、1935年に第1回芥川龍之介賞を受賞。
社会派作家として活動し、『人間の壁』、『金環蝕』などを著した。
戦後の文学
新戯作派(無頼派)
太宰治
1909-1948、日本の小説家である。
本名、津島修治。
『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』
坂口安吾
1906-1955、日本の小説家、評論家、随筆家。
本名は坂口炳五。
純文学のみならず、歴史小説や推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。
『堕落論』『白痴』『風博士』、「二流の人」
戦後派
三島由紀夫
1925-1970、日本の小説家・劇作家・評論家・政治活動家・民族主義者。
戦後の日本文学界を代表する作家の一人である
小説に『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』など、戯曲に『鹿鳴館』『近代能楽集』『サド侯爵夫人』戯曲に『鹿鳴館』『近代能楽集』『サド侯爵夫人』
大岡昇平
1909-1988、日本の小説家・評論家・フランス文学の翻訳家・研究者。
『俘虜記』『レイテ戦記』『花影』『武蔵野夫人』
安部公房
1924-1993、日本の小説家、劇作家、演出家。
作品は海外でも高く評価され、30ヶ国以上で翻訳出版されている。
小説に『壁-S・カルマ氏の犯罪』(同名短編集の第一部。
この短編で芥川賞を受賞)『砂の女』(読売文学賞受賞)『他人の顔』『燃えつきた地図』『箱男』『密会』など、戯曲に『友達』『榎本武揚』『棒になった男』『幽霊はここにいる』
第三の新人
安岡章太郎
1920-?
、日本の小説家
『ガラスの靴』『悪い仲間』・『陰気な愉しみ』により、芥川賞を受賞し、『海辺の光景』で芸術選奨・野間文芸賞を受賞
遠藤周作
1923-1996、日本の小説家。
随筆や文芸評論や戯曲も手がけた。
狸庵山人の雅号を名乗り
1955年半ばに発表した小説「白い人」が芥川賞を受賞し、小説家として脚光を得た。
第三の新人の一人。
キリスト教を主題にした作品を多く執筆し、代表作に『海と毒薬』『沈黙』『侍』『深い河』
昭和三十年代の小説
社会派作家
大江健三郎
1935- 、日本の小説家、活動家。
作品の根幹にまで関わる先人たちのテクストの援用、限定的な舞台において広く人類的な問題群を思考するなどの手法も大きな特徴として挙げられる。
大学在学中の1958年、「飼育」により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。
サルトルの実存主義の影響を受けた作家として登場し、戦後日本の閉塞感と恐怖をグロテスクな性のイメージを用いて描き、石原慎太郎、開高健とともに第三の新人の後を受ける新世代の作家と目される
石原慎太郎
1932- 、日本の政治家、作家。
参議院議員(1期)、環境庁長官(第8代)、運輸大臣(第59代)、東京都知事(第14代・第15代・第16代・第17代)、衆議院議員(9期)、日本維新の会代表、共同代表、次世代の党最高顧問を歴任した
『太陽の季節』により第34回芥川賞を当時史上最年少で受賞、ベストセラーとなる
女流作家
瀬戸内晴美
1922ー 、日本の小説家、天台宗の尼僧。
『夏の終り』や『花に問え』『場所』『源氏物語』に関連する著作が多い。
これまでの著作により多くの文学賞を受賞した。
円地文子
1905-1986、日本の小説家。
「女坂」
中間小説
井上靖
1907-1991、日本の小説家。
文化功労者、文化勲章受章。
小説は現代を舞台とするもの(『猟銃』、『闘牛』、『氷壁』他)、自伝的色彩の強いもの(後述。
『あすなろ物語』、『しろばんば』他)に加え、歴史に取材したものに大別される。
歴史小説は、日本で特に戦国時代(『風林火山』、『真田軍記』、『淀どの日記』他)、中国ではとりわけ西域を題材にした(『敦煌』、『楼蘭』、『天平の甍』他)ものを多く描いた。
巧みな構成と詩情豊かな作風は今日でも広く愛され、映画・ドラマ・舞台化の動きも絶えない。
井上靖の周囲に実在した人物がモデルとして多く登場し、特に『しろばんば』中に登場する、曽祖父の妾で洪作とは血の繋がらない「おぬいばあさん」(実在の名は「おかの」)との生活は、井上靖の人格形成を語る上で欠かせないものである
水上勉
1919-2004、日本の男性小説家。
しかし水上自身は推理小説に空虚感を感じており、「人間を描きたい」という気持ちから自分がよく知る禅寺の人間たちを題材に『雁の寺』を執筆[5]、同年に第45回直木賞を受賞、華々しい作家生活が始まった。
『雁の寺』、『金閣炎上』『霧と影』1960年(昭和35年)、水俣病を題材にした『海の牙』を発表し、翌1961年(昭和36年)に第14回日本探偵作家クラブ賞を受賞、社会派推理作家として認められた。
昭和四十年代の文学
柴田翔
1935- 、日本の小説家、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。
1964年に当時の学生群像を描いた「されどわれらが日々―」で芥川賞を受賞した
同年同人誌『象』に発表した小説「ロクタル管の話」が『文學界』に転載され、芥川賞候補となる。
1961年に修士論文を改稿した『親和力研究』でゲーテ賞を受賞、翌年ドイツ留学。
1964年『象』に発表した「されどわれらが日々―」で第51回芥川賞を受賞。
六全協に影響された学生群像を描いたこの青春小説は、累計186万部というベストセラーとなった。
以後も『贈る言葉』(1966年)、『鳥の影』(1971年)、『立ち盡す明日』(1971年)などを発表した。
三浦哲郎
1931-2010、日本の小説家、日本芸術院会員。
196
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